思考を言語化するドリル

氾濫する川のように流れる情報に対し、浮かんでは消える思考を留め言語化するトレーニング

「察する」センサー、「慮る」テクノロジー。

日々のヒトとのコミュニケーションで、大事だと思ってるのは、相手が、どんな状況で、何を考えているかを「察して」、「慮る(おもんばか-る)」こと。

 

まあ、程度の差こそあれ、みんなやってると思う。

特に日本は、単一民族の島国という状況と、異を嫌い同調性を問われる性質により、特に「ハイコンテキストな社会と言われていて、KY(空気読めない奴)が悪、と思われてる。

 

ちなみに、人種のるつぼと称されるアメリカでは、ちゃんと伝えない奴が悪、となる。まあ、このズレはなかなか大きなハードルだったりするけど、その話はまた今度。

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この、「察する」と「慮る」をなんとかデジタルなコミュニケーションでも再現したいと思っている。センサーで「察し」て、そのデータから相手のことを「慮る」。それこそがデジタルならではの「おもてなし」になる。

 

正直、デジタルやテクノロジーを、「意識的に使ってもらう」ことを前提として、合理性や利便性をアピールするのは、ちょっともう時代遅れな感じがするんだよね。

やっぱり、テクノロジーの未来像としては、意識的に使うんじゃなくて、「勝手に半歩、一歩先を察して」先回りして動いてほしいよね?

世の中は、もう、けっこう便利になってきていて、新しい仕組みを生活にとり入れたりするのって、ちょっとお腹いっぱいだったりするじゃん?

やっぱり、気持ちいい、楽しい、ワクワク、スマート、美しい、そんな体験じゃないと、生活に取り入れてくれないと思う。

人間でもできたことを、代わりにテクノロジーがやりました、だけじゃ、やっぱ面白くない。

新しいデジタルならではのセンサーで、今までとれなかったコンテキストを察することができたら、面白いことができそう!ってワクワクする。

 

私がいつも、新しいコンテキストアウェアなサービスを考えるときに使ってる、ちょっとしたフレームワークがある。

  • 何を使って(センサー)
  • 何を察して(データ)
  • どう意味づけて(判定ロジック)
  • 何を提供するか(サービス)

この4つのポイントで整理して、どっかになにか新しいものを入れるように心がけてる。

新しいセンサーはどんどん出てくるし、精度もどんどん上がっていく。実際、それを使う面白い活用アイデアが足りない。全然追いついてない。

もったいないなって思う。

新しいテクノロジーを「使えないな」って、ユーザーに思わせたら、我々の負け。そのテクノロジーを生かす魅力的なアイデアを、我々が思いつけなかったら、人類の進化がまた一つ遅れてしまう。

そんな、よくわからない使命感に背中を押されてる。

 

ごめんね、Google Glassちゃん。キラーコンテンツつくれなくて。

HoloLensちゃんは、まだこれから。がんばるね!