さあ、マヤ、ペルソナをかぶるのよ?
「ガラスの仮面」という漫画をご存知だろうか?北島マヤという平凡な少女が、演劇の才能を開花させ活躍するスポ根、演劇マンガだ。
北島マヤは、千の仮面をもつ天才と呼ばれており、架空のガラスの仮面をかぶると、憑依されたかのように演じることができる、という話しだ。
マーケティングでは、「ペルソナ」という言葉がある。ある製品やサービスのターゲットを明確にするために、典型的なユーザー像を具体化したものを指す。
「ペルソナ」の作り方、みたいな話は専門家にお任せするとして、今日は、北島マヤ的仮面のかぶり方について話したい。
私は、「仮面をかぶる」行為が結構好きだ。何かになりきるのって、結構楽しい。妄想の域を出ないし、独りよがりかもしれないけど、新しい仮説を見つけたり、企画の面白さを検証する時には、
「さあ、マヤ。仮面をかぶるのよ。」
心の中で、北島マヤになりきって仮面をかぶる。
ヒトの心の動きに興味関心があり、これまでライフワーク的に研究してきた中で蓄積された、無形のデータを駆使して「仮面をかぶる」。
ステージも作る。どんなシーンで、どんな気持ちでそこにいるのか。コンテキストのイメージを膨らます。
こういうのって勝手な思い込みだし、完全にステレオタイプだから、必ずしも正解が導き出せるわけじゃない。でも、明らかに、間違ってる時はわかる。
「あ、これはないなーっ」とか、
「あ、なんかこれはいい感じにハマりそう」
みたいなのが見えてくる。
マーケティングでいえば、最近じゃ、ユーザーの心の動きを時系列に表した「カスタマージャーニーマップ」なんてものもあるから、よりなりきりやすい。
ユーザーを分析する時は「滅私」の客観性が重要だけど、そのデータをもとにジャンプして企画する時は、「仮面をかぶって」主観的になりきるのが結構効果があると思ってる。
最近じゃあ、ヒトだけじゃなくて「ロボット」の仮面もかぶるようになった。
このロボットの設定は、一休さんとのび太のハーフだから、、、このロボットは、5歳児設定だから、、、とかロジカルに考えるじゃなくて、設定を読み込んで仮面を作ってかぶってみる。
イメージのデータが少ないので、どうしても自分色が出てきちゃうけど、なるべく仮面をかぶって、シナリオを作ることにしている。
久しぶりにセリフを作ろうとすると、感覚を忘れてたりもするから、なんかちょっと違和感があったりして、ロボットにもちゃんと人格があるんだなーって、感じられて面白い。
多分、これからは、AIにも性格とか出てくるのかな。夢は自分の思考の完全移植とかではあるけど、インターフェイスとして自分の仮面を作って、テンプレ化できたりしたら超面白いな、と思う。