いつも心に高田純次を。許容が進化のキモ?
スマホで寝っ転がりながら、ポチポチポチ。
いまやあらゆる情報に指先一つでアクセスしてしまえるこの世界で、いい加減、を保つのは難しい。
乗り換え案内、みなさんよく使ってますよね。
私も使います。
しかも、2つアプリを使っています。
ある区間は座って行きたいから各駅優先の設定(正確には乗り換え回数で)ができる「駅探」、もうひとつは最短を攻めれそうな「ジョルダン」。
目的や経路シチュエーションによって使い分けてる。
駅までの歩く時間、乗り換え待ち時間、乗り換え距離なんかをいろいろ脳内シミュレーションしながら、自分にあった快適な正解を探してる。自分の選択したルートが最善かどうか他と比べて検算までして。
でも、最近注目されてるAmazon Alexaなどの音声による、一問一答型のアウトプットならどうする?
もし、たくさんの乗り換え候補を読み上げられたら困っちゃうだろうな。
で、その結果を想像すると、私の場合、
「なんかそれっぽい答え、バシッと返してよ。」
ってなっちゃいそう。
調べられるデータとツールが目の前にあるとつい、より最適な答えを探しちゃうけど、ほんとは、そんなに厳密じゃなくてもよい事柄だったかもしれない。
最適解を見つけ出すために、今まで使ってた時間と脳みそのリソースを他に回せるなら、(しかも、これから一生)、多少精度が落ちても、「君のオススメでいいよ?」ってなるだろうな。
この辺の感覚、AI系パーソナルアシスタントの普及のキモになりそう。
効率、最適、完璧より、ちょっと外れても楽チンなのがいいな、って思える作業からどんどんエージェントに切り替えていく。
完璧な人工知能による作業代行は、まだまだ先だとしても、人間が60パーセントくらいの精度で満足できれば、実はいまでもできることがたくさんありそう。
機械学習の観点からも、最初から精度の完璧なものを目指すんじゃなくて、データを集めながら最適に近づけていくアプローチが正解。
ちょっとくらい適当でも、許容できそうなジャンルに関しては、肩の力を抜いて身を預けてみるのが、 彼らとうまく付き合っていく秘訣なのかもしれないな。