思考を言語化するドリル

氾濫する川のように流れる情報に対し、浮かんでは消える思考を留め言語化するトレーニング

HoloLens 繋がれしもの、繋がれざるもの。

Microsoft HoloLens に魅せられたクレイジーな開発者の集い、Tokyo HoloLens Hands-On &Meetup に参加してきた。

1つ、34万円もするガジェットを予約開始日にゲットして、平日の昼間から80人近く集まるとか、ちょっとすごいよね。

80台 同時にMR空間シェアした様子は早速、ロボスタさんが記事にしてくれてるので参考までに。

参加者全員で仮想空間をシェア! 世界最大「80台」のHoloLenseが集まる、第1回「HoloLens Meetup」が開催! | ロボスタ - ロボット情報WEBマガジン 

 

 HoloLens をつけている集団の中に、つけていない人が数人存在する、という稀有な環境に身を置いてみて感じたことをまとめてみる。

 

少し前に、Ingress (あるいはポケモンGO) が登場したときに感じた、「フィジカルな世界は変わってないのに、プレイヤーと非プレイヤーでは、見えてる世界や、物体や場所の意味、喚起させる感情が違う」という、世界がレイヤー化されている感じが、さらに一歩進んでしまった。

 

ARは拡張現実感という名前ではあるものの、その多くのコンテンツは、現実世界は特定のマーカー(あるいは特徴点)がある場所をもとに、映像を重ね合わせてスマホなどのファインダーを「かざして」みるモノ。

 

普段は見えない世界が、かざしている瞬間のみ、覗き見できるという感じに近い。そして、その、のぞき窓を持ってる人(プレイしてる人)と、持ってない人(プレイしてない人)がいる。

 

でも、フィジカルな世界にいる、「この人」が、「参加してるか」どうかは、実際にはわからない。なぜならあくまでものぞき窓から世界を見ているだけで、我々はその世界の住民ではないからだ。

 

HoloLens は違う。

 

完全にその世界に入り込める。でも、VRのもつ異世界への没入感とは違う、この世界に重ねられた新しい透明のレイヤーに頭を突っ込んでる感じに近い。

 

言葉で説明するのに限界を感じてきた。

 

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こんな感じでで、みんなで共通にみえてるポータル的なものがある。この感じはいわゆるARだよね。

「そこにあるじゃん?見える?」

「あ、見える見える!」

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んで、隣を見てみる。頭の上になんかいる。

「ねね、頭の上になんかいるよ?」

「キミの頭の上にもムラサキのがいるよ?」

「マジ?頭と一緒に動くから、自分じゃ見れない」

 

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「あれ?キミの頭の上にないよ?繋がってないの?」

「みんな(のアバター)の姿はみえてるけど、世界が(位置が)ズレてる。俺(のアバター)はどこ?」

みたいな感じになる。

繋がってないと一瞬でバレる。

 

つまり、一人称視点で世界に繋がっているかではなくて、他者からみてそこに存在しているのかが、重要になってくる。

繋がらなかったときの疎外感とかマジハンパない。

 

Skypeとか、オンラインゲームとかは、繋がらなかったら参加できないだけじゃん?

実際にはみえないし、目をそらして忘れることもできる。

でも、これは違う。現実世界にぴったりと重なった透明のレイヤー。無限の世界。

HMDを外したってそこに存在する人たちが、1階層上のレイヤーにも存在しながら、普通に生きてるんですよ。

 

これはもう一つの社会と言っていい。

 

5年くらい前に、今のインターネットとは全く別の登録制(サブスクリプションモデル)の新しいプラットフォーム、"ネオ"インターネットが来る!みたいな妄想を膨らましてたんだけど、まさか、AR的な方向でやって来るとは思わなんだ。

だが、来てみればとてもしっくりくる。

 

しかも、これがきっとフィルタリングされたり、複数階層になっていくんでしょ? 

 

世界の創造?

ニンゲンの仕事はまだまだなくなりそうにないや。