八百万の神か九十九神、十兆個の神が宿る未来。
IoT(Internet of Things) モノのインターネットのイメージって、なんだか日本の古い神様の感じに似てません?ひとつひとつのデバイスの話じゃなくて、なんとなく世界観が。今日はそんな話。
IoTってのは、いろんなモノがそれぞれインターネットに繋がっていく流れのことだけれど、その目指すゴールは、Ciscoが提唱するようなIoE(Internet of Everything)人、モノ、あらゆる全てがインターネット(あるいはデジタルと)繋がってる世界の実現だったりするよね。
全てが繋がると聞くと怖いと思う人がいるかもしれない。SF映画でよくある人工知能があらゆるものを操作して人類と敵対する、とかのイメージが強いしね。
で、周りを見てみよう。
確かに、スマホ経由のBluetooth 端末やwifi 搭載のハードウェア、めっちゃ増えてきた。ロボットだってたくさんある。センサーカメラも世の中に溢れて、たくさんのデジタルの目に囲まれてる。
でも、(いまのところ)、それぞれがそれぞれのために目的をもって作られこの世界にバラバラと存在してる感じ。
この辺が八百万の神※やら、九十九神※のイメージにすんごく近い。
※八百万の神は、自然の森羅万象に神が宿るという信仰
※九十九神は、長く使われてるモノに神が宿るという信仰。もったいないおばけ的な?
生粋の日本人の私としては、なんとなくその感覚がDNAに焼き付いてる気がして、いろんなものにタマシイを感じちゃうんだよね。日本では擬人化が流行るのもその辺が関係ありそう。
一方、IoEとかのイメージは、なんかあれよね、HAL9000みたいな人工知能ちゃんが、がっつり統括して動かす一神教のイメージ。
AmazonさんやらGoogleさんやら、強いプラットフォームは存在するけど、まだ幸いにして一神教って感じじゃないし、八百万の神くらい?
(ARMはもしかしたら違う意味で一神教になり得るかもだけど?)
オープンで、でも利己的で、善も悪もあって、気まぐれで、多様性があって、少し混沌としながらバランスをとってる。そんな神々で溢れかえる世界。
玉座に座って、ただ勇者が現れるのを待ってるだけのりゅうおうは、ちょっとつまらなそうだったので、デジタルの神様たちもいい感じでバランスをとりながら存在してくれるといいな、と思う今日このごろである。